奈良県PTA常任委員会 全体研修会講演

期日:平成12年3月4日 13:30〜

場所:奈良県社会教育センター大研修室

 

講師:三浦朱門先生

 

講師プロフィール

 1926年東京都生れ。東京大学文学部言語学科卒。85年より文化庁長官。作家。

 夫人は曾野綾子氏。

 戦後の、日本社会と個人のあり方を描いた『箱庭』(67年)が代表作のひとつ。

 この中で氏は、明治生まれの世代が近代日本のなかで最悪の世代だと書いた。

 「明治生まれは与えられた環境に甘やかされたのである。そして実力がないのに気位

 ばかりが高く、外交政策を誤り、あの無謀な戦争によって、日本帝国を滅ぼしてしま

 った。」と最近もエッセイで再論。しかし、もっと危険なのは、明治以上に甘やかされ

 た50年以降に生まれた世代であると指摘する。

 その文才と博識は早くから注目され、吉行淳之介、島尾敏雄などとともに、「第三の新

 人」として作家活動を開始している。大人の目現代を批評する事の出来る重厚な感覚を

 もった作家である。

 著書に『武蔵野インディアン』(河出書房、82年)、『夫婦は死ぬまで喧嘩するがよし』

 (光文社、93年)などがある。     PHP研究所「PEOPLEchase より

 


 

 三浦でございます。

私は今日は何をお話しするかと申しますと、一昨年の7月に答申案を出しました教育課程審議会と言うのがございます。その教育課程審議会というのは、昨今必要な課目というもののレベルを下に下げたもので、週刊朝日の連載にもあったんじゃないかと思いましたけれども、中学校での英語の必須単語が百というそんなんで間に合うのかという事がありまして、簡単に言うと学力低下に繋がらないかという問題が一つあります。簡単に言いますとそれは学力は低下すると思います。

 

 もう一つ家庭教育とは何か。それからなぜ今家庭教育と言うような事を言わなければいけないか、と言うような問題を話ししようと思います。

 

 順序から申しまして、家庭教育からお話ししたいと思います。まず教育というものは、家庭教育から始まり、そして学校教育になり、それから昔社会教育と言いましたけれども、生涯学習という問題になって、教育とか学習というような事が一巡するというか、一つの役割を持つからでございます。

 

 では家庭教育というのは何かと言いますと、実は親と子の関係の中で育っていく、営まれる教育でございます。

私の家の裏手にオンボロの物置がございまして、そこはちょっとした床が張ってあるんですけれども、床の下というのはほとんど20センチぐらいだったんですが、そこに野良猫が住み着きまして、そして野良猫が子供を産んだんです。台所の近くなんで生ゴミを捨てたりしますと、親猫が子猫を連れて餌をあさるわけです。そうするともうゴミ箱をひっくり返して大変な騒ぎになるので、家の人がそういうのを見ると追っ払ったりしていたんです。

それを見ていますと、親猫が子猫を連れてやってくる、そして誰も人間がいない時には、親猫は周りを警戒しながら、合間合間には自分も食べたりしている。そして人影が見えますと、プシッと音を出すんです。そうすると子猫は、一斉に不動金縛りにあったようにピタッと動かなくなります。その次に、これはいよいよ危ないと思いますと、親猫が一声大きな声でわめき、子猫は一斉に物置の下に逃げ込んでしまいます。そして親猫は人間を睨みながら徐々に後ずさりして、自分も最後に物置の縁の下に入るという事をやっております。

 

 やはりこれを見ますと、最初に妙な音を立てると子猫がピタリと動きを止める。その次に親猫が大きな声で泣くと、我先に物置の下に入る。これは野良猫にとって生き残っていく為の最初の知恵なんですね。やがてだんだん大きくなりますと、どういう時に母猫がプシッと音を出すのか、どういう時にわめくのかだんだん分かってくる。その内に親猫に言われなくても、ジッと身をすくめて相手に見つからないようにする。それからいよいよ危ないという時には、安全な所へ飛んで逃げる。

 

 それから子猫同士が絶えずじゃれていますけれども、じゃれると言っても猫は肉食動物ですから、絶えず戦いの練習なんですね。人間が近寄るとピタリと止めるんですけれども、それまでは本気で戦っているんじゃないかと思うぐらいに、相手を転ばし引っ掻く身振りをしたり、噛みつく身振りをしたりしている。こういう事を考えますと猫にとって親子関係そして兄弟関係というのは、いちばん基本的な教育・学習の場でありまして、それから後は猫は一匹立ちと言いましょうか、一頭立ちと言いましょうか、自立して一人前の野良猫として生きていくわけです。学習能力が充分でなかった者、体力や知恵が充分でなかった者は早く殺されたり死んだりしてしまいます。そういう事を考えますと私達人間にあっても、やはりそういう基本的な関係というのは、元来は親子関係にあると言うか、家庭関係にあると言わざるを得ないと思います。

 

 私達今こうして、一つの部屋に向かい合って並んでいます。これはこの場だけで無くて、皆さん方或いは皆さん方の家族の中で仕事をしていらっしゃる方、そういう方の仕事振りというものを考えますと、もし働いている人達から周りの物を全部取り払ってしまう。電車を運転している人から電車その他を取り除いてしまう。或いは事務所で働いている人にとっては、オフィスの机・パソコンその他を取り払ってしまう。工場の旋盤の前で働いている人から、工場の建物・旋盤の機械を取り払ってしまう。そういう場合此処にいる私達の行動も含めて、働いている人達或いは学校に居る人達の行動というのは、非常に特異な、他の生き物と比べた場合に、風変わりな行動をしているという事に気が付くだろうと思います。例えば、猫が集まる事はありますけれども、此処における私達のような形の集まり方は等は絶対に致しません。それから、オオカミやライオン達は自分の餌を捕るために、シマウマとか野生のシカ等を追いかけますけども、その行動を見ますと決して電車を運転している人、旋盤で金属を削っている人、或いは事務所においてパソコンを打ち電話を掛けている人、このような行動をしません。つまり人間だけが持っている特別な行動の様式でございます。

 

 もう一つ私たちの行動の様式がございまして、それは私たちが家庭にいる時です。テレビのコマーシャルを夕べ見ていましたら、何の宣伝だったか覚えていませんけれど、女の子が朝出勤のための身支度をしている。今から8時間前の私というと、ベッドで枕を抱えて眠っている。今から2時間前の私というと、ベッドからずり落ちて床に大の字で寝ている。この様なのがあります。そして身支度を整えて外に出ていく訳ですけれども。それに限らず私たちの家庭における生活の体の動かし方、即ち寝たり起きたり、物を食べたりしている家庭の中での私たちの行動の姿というのを見ますと、これは他の動物たちとほとんど変わりない。あるいは私たちが子供を風呂に入れてやっているというような行動を考えますと、それは基本的には、親猿が小猿の毛繕いをしているのとほとんど変わりない。まず私たちの家庭生活での行動の形というのは、衣類・着ている物とか、家屋とか家具とか色んな物を取り除いても、私たちの行動のパターン・姿というのは、他の猿、ニホンザルやチンパンジーやゴリラなんかとまず変わらないものだと思います。

 

 従って私たちには2つの場と言いますか、2つのヒュードと言いますか、アスペクトと言いましょうか、あるいはモードという言い方をしても良いんですけれども、2つの生活の行動の場がある。一つは家庭なんです。もう一つは学習、あるいは生産・流通をも含めた社会的な行動の場です。農業をしている人たち、例えば鍬を振るって畑を耕している人は、同じ体の動かし方を100回繰り返して、それからまた向きを変えて100回繰り返して、また向きを変えて100回繰り返す。こんな行動をする動物は、この地球上に人間以外ありません。

 

 つまり社会的なバックというのは他の動物と比べた場合に、どちらかというと不自然な行動のパターンを持っております。動物の場合には、第一の家庭の行動のパターンだけです。私たちが家庭の中でプライベートと言われている、あるいはプライバシーと言われている時の行動の形は、これは動物に一般に通ずるものです。この場合特にハッキリさせますと猿とほとんど同じ部分です。それに対して社会的な活動の場というのは、これは人間だけの物であって、猿の場合はよほどちゃんと訓練しないと、猿回しの猿とか、あるいは人間のような行動をさせようとして人間とチンパンジーの根本的な違いがあるかどうかという事を調べるために、人間と一緒にチンパンジーを生活させますけれども、そういうような場合を除きまして、猿には無い社会的な活動という2つの場面があります。

 

 私たちは社会的な活動というのをしておりますと疲労します。例えば用事があって、電車に30分乗って事務所へ行く。事務所で8時間机に座って仕事をしている。それからまた電車に乗って家に帰ってくる。合計9時間要る。行きも帰りも電車で座れた。そして事務所での仕事も座っている状態だ。それならば座っているというのは、横になる事に次ぐ楽な姿勢なんですね。楽な姿勢を9時間もしていたんなら疲れないかというと、やはり一日オフィスで働いてきた人は、帰ってくると「疲れた、疲れた。」と言うに違いないんです。では家に居ると何してるかというと、ちゃぶ台の前でボヤッと座って食事をする。食事が済んだ後、ぼんやりテレビを見ている。後は寝るだけです。家庭の中での行動というものと、社会での行動というものを比べた場合に、エネルギーの消費量から言いますと、あるいは職場の方がエネルギーの消費量が少ないかも知れないんですね。

 

 例えば、日曜日一日家にいる。ついでに春だから植木の手入れをしようとか、草花の苗を植えようとか、そんな事をチョロチョロッとやる。そうすると日曜日の行動に必要としたエネルギーと職場で必要としたエネルギーと比べた場合に、日曜日の方がエネルギーの量としては多いかも知れない。しかし私たちは家庭にいると疲労が解消されるという風に感じる。つまり家庭生活までは、別の言い方をすると、人間が猿と同じような事をしている限りに於いては、疲れてもその疲労を解消するための方法というものが、生活の中に組み込まれていまして、家庭生活をしている分に於いては、何日いても疲れない。ところが毎日毎日仕事ばかりしていると、たとえそれが1日8時間であろうとも、それを10日も続けていると疲れてくる、休みたくなる。

 

 そういう事を考えますと人間の生活のモードの中の二つ、家庭と社会とを比べた場合に、どちらがより根源的であり、どちらがより基本的であるかという事を考えますと、それは家庭が人間の生活において根源である事は間違いない事だと思います。家庭が根源であって、社会が第二義的な物だと思います。良く第一次産業、第二次産業、第三次産業などと言いますけれども、そういう言い方をしますと家庭というのは、0次元の産業だと思いますね。それはやはり産業という言い方は可笑しいんですけれども、そこでは人間が活力を取り戻す場な訳です。そこでは子どもが成長し、大人も子どもも、それなりにエネルギーを吸収する場です。そしてエネルギーを消費するのは、むしろ社会生活と言われているものです。

 

 私達はここで、社会的な次元と家庭的な次元と二つのモードの中の、家庭のモードと社会のモードとどちらを優先させるべきかという事になりますと、たぶんこれは家庭のモードだと思います。例えば、異常に生活に困った親子が居るとする。その親が子供に食べさせるために食べ物を盗む。そして子どもにやる。その結果、親が泥棒だと言われて社会的に罪を負う事になる。そういう場合に子どもは、そういう親を軽蔑するだろうか、憎むだろうか、恥ずかしく思うだろうか。そうでは無いと思うんですね。やはり子どもは、自分で罪に問われる事を知りながら、自分のために罪を犯してくれた親というものを、有り難い存在・貴重な存在としていつまでも、一生覚えているに違いない。つまり社会的な価値と家庭的な価値を比べた場合に、家庭的な価値というものがまず優先する。

 

 人間にとって、根源的な生活はやはり家庭にある。その家庭の中の親子関係、あるいは兄弟関係、夫婦関係というものが人間の動物につながる一番最初の、そして中心になる在り方だろうと思います。これが近頃問題になるというのは何故かと言いますと、昔ですと一つの家に三つの世代が居た。あるいは少なくとも二つの世代が一緒に暮らしている時間があった。つまり若い夫婦と年を取った夫婦が居る。そしてしばしば、若い夫婦は年を取った夫婦の職業を相続するという関係にある。そこで父親と息子は、先生と生徒の関係である。先輩と後輩の関係である。そして父親が耕していた畑を、息子がその手伝いをする事から始まり、やがて父親が弱っていきますと、自分がその畑を作る事の中心的な労働力になる。やがて父親が死ぬと自分がその中心になる。そして息子が生まれると農業の手伝いをさせる事から始めて、自分が弱ってきたら息子にその後を譲る。

 

 これは女性の場合でも言えまして、昔の形で言いますと嫁を取るという言い方があるのですけれども、若い結婚した男の母親というのは、生まれた時からその家にいる訳ではなくて、若いときに嫁に来た訳です。嫁に来た時にその家にいる主婦の元に、姑と嫁の関係で躾られて、そしてその家の家事のやり方、料理の仕方、子どもの育て方等というものを受け継がれて、そしてよその人間であるにも関わらず嫁同士の間で、姑と嫁の間でその家の伝統・家風というものを受け継いできました。従いまして、縦の関係がしっかりしている時にあっては、子どもの育て方、子どもの教育の仕方というものを家庭の場で迷う事はなかった。つまり、嫁が出産が近くなる。そうした場合にどうしたら良いかという事を姑が良く知っている。そして、姑が嫁と一緒に出産の準備をしたり、あるいは励ましたり、教えたりしながら、姑から言いますと孫の出産の準備をする。孫が生まれてから後、どうやって育てたら良いかというような事も、結局姑という教師が居て、嫁がその姑の忠告を聞きながら、だんだん母親としてのやり方に慣れていく。

 

 そういう形で縦の関係というものがしっかりしている社会では、家庭教育というのはあんまり問題にならない。よその家はどうか知らないけれど、その家のやり方というものがある。つまり家風というものです。それが有るという事で、特に家庭教育というものが問題にされる事はなかった。

 

 しかし、近頃と言いますか、ことに第2次大戦後の、奈良県のような場合には第一次産業に従事している家庭ではそうでないかも知れませんけれども、都会に住む人間たちにとっては空襲で焼けた跡に住宅を確保するのは難しかった。そういう事もありまして、私たちの世代で言いますとほとんどの人は、一間きりの所で夫婦が暮らす事から始めたわけです。従いましてそこには親の世代は無かった。つまり嫁は姑から家事を、伝統的なその家の家風を受け継ぐ事は無かった。都会の生活者にとっては、息子は父親の仕事を見習って職業を、そして家を、家督を相続する事は無かった。いわば親も何も無い状態で若い夫婦が出発します。さらに悪い事は、敗戦直後からは、戦前の色々なやり方というものが全部否定されました。つまり親は子供をこう躾なければならないんだ、あういう風にしなければいけないんだというような事がほとんど封建的である、民主的でないという形で否定されてしまう。その代表が私たちの世代でありますけれども。その為に自分たちが育てられたような形で、親から言われたような形で、子供を教える事が出来なくなっていました。

 

 私の家はちょっと特殊でございまして、両親が一種の無政府主義者だったと思います。父親がパッとしない文学青年で、母親がこれはまた売れない下っ端新劇女優でありまして、学生だった父と下っ端女優だった私の母が同棲して姉と私を産みました。で、両方とも親から切り離されていたもので、私の家には日本の伝統的なものが伝わっていない。例えば、初七日とお七夜というのは、私はどっちがどっちかホントは分かってないんです。口にする時にはよっぽど考えて、他の人が言ってから初めて言おうと思う。どっちがお目出度くて、どっちがお弔いなのか良く分かんないんです。後にカトリック、キリスト教信者になった事もありまして、お彼岸とお盆というのがどう違うかよく分かってないんですね。そういう家に育ちました。そして私の親というのは、そのような妙な伝統も何もない形で、大正デモクラシーと言えば聞こえが良いですけれども、一切のそれまでの伝統的な形式を無視したところで、私と姉を育てました。

 

両方の親から援助が無くなってしまいますから、私達の両親はたちまちの内に生活に困ってしまうんですけれども、生活に困ってない時でも私の両親は息子を、多分私ですけれども、私を将来どういう教育をするかという事で夫婦ゲンカをしている。「朱門」というのは別に東大の赤門だから「朱門」と言う意味では無くて、これはキリスト教の「シモン・ペテロ」のシモンですね。姉は「聖母マリア」のマリアと言う名前です。父は無政府主義者なのに、何でキリスト教にちなんだ名前を付けたのかと言いますと、私はある時父に「どうして聖書にある名前を娘と息子に付けたのか?」と聞きますと、父は簡単に「キリストは世界で最初の意識的な無政府主義者だ。」と言った覚えがあります。そういう訳で「朱門」と言う変な名前を付けたんですけれども。息子にどういう教育をするかという事で、米櫃に米がほとんど無いのに私の両親はケンカするわけです。例えば「東大という所に入れると、あういう所に入れると人間が下等になるから、あういう大学は良くない。」「でもあそこは設備がいいし、学費の割に教師も良い。」「だからあちらが良い。」「こちらが良く注意してれば良いんだから。」というような事を言う。私もある時、小学校の上級になった時に、母がちょっと切羽詰まった顔をして、「お前は公立学校か、国立の大学へ行きなさい。お前さえしっかりしてれば大丈夫だから。」お前さえしっかりしてればと言うのは、しっかり勉強してればと言う意味では無いんですね。「お前さえ、体制にたぶらかされないだけの、しっかりした心構えを持っていれば、国立の学校に行っても欺かれる事は無い。」と言う意味なんですね。

 

 私の家は学校の宿題なんてのをしてはいけない。ある日曜日に父が野球を見に行こうと言ったんですね。その頃はプロ野球なんて無い頃で、六大学野球ですけども。私は宿題があるからダメだと言ったんですね。そうすると父が非常に不機嫌な顔になりまして、「お前はその宿題がしたいか?」「したく無い。したく無いけどやらないと先生に怒られるからやるんだ。」と言いますと父は非常に不機嫌な顔をなりまして、「やりたく無い事をやるのは奴隷だ。俺はお前を自由人として産んだけれども、奴隷として産んだ覚えは無い。やりたく無かったら宿題なんてしてはいかん。」と言うんですね。

 

 何年か経ちまして、その頃旧制中学の入学試験というものが結構ありまして、周り中が中学の入学試験の準備を始める。先生も授業前に1時間、授業後に1時間補習授業をしてくれるようになる。私もつり込まれて受験勉強のような事をやり始めると、父親が問題集をやっている私の側に来まして、「そういう事をちょこまかやっていると、将来ろくな者にはなら無い。」と言うんです。「人間というのは、男というのは、一生に一度『あの人が居て良かった。』と思われたら良いのであって、そんな色んな事に役に立つような、何のために役に立つか分からないような事をちょこまかやるもんじゃない。」と言うんですね。私が父親に向かって「それでは一生に一度『あの人が良い』と思われる時が無かったらどうする。」と父に質問しますと、父は「それは平和であるという事で、そんな恵まれた事はない。」と言うんですね。「例えば四十七士のリーダーであった大石内蔵助と言う人は昼行灯と言われた。しかし彼が一生昼行灯として生きていけるならば、昼行灯のままで大往生遂げる事があったならば、それは浅野家にとっても大石家にとっても、浅野藩の全ての侍にとっても一番幸せな事ではないか。だから一生に一度あの人が居て良かったと思われれば、男として存在意義はあるのだし、一生に一度のチャンスが無ければ、それは平和という事でそれに勝る良い事は無いのだ。」と言うんですね。

 

 私の家では、努力したり、勉強したり、頑張ったりする事はいけない事であったわけです。従いまして私の場合は、戦前から戦後的な家庭教育を受けてしまったので、自己弁解になりますけれども、子どもの教育を間違ったと思いますけれども、それは私が親から受けたような教育、つまりあらゆる伝統的なものを無視する事が、家庭教育だというような事を信じ込んでる所がありまして、息子が生まれた時にやはり放任しとけば良い、ほっとけば自然にどうにか成ると思っていた。私の配偶者・曾野綾子の方は、物堅い商売人の家に育ちましたから、やはり子どもにはきちんと躾をしなければいけない。お正月の七日にはちゃんと七草粥というのを食べさせなければいけない、というような事を言う。私は七草粥なんて美味くない。だいたいお供え餅なんて、カチカチになったのはどうにも食えないんだから、お供え餅を買う事を止めた方が良い。そういうような事を私は考えます。私の配偶者・曾野綾子にとっては非常に可哀想だったと思いますけれども、息子は父親と母親の間に立ちまして、やはり父親と一緒の考えの方が楽で良いやと思ったに違いない。曾野綾子にとって気の毒な事だったと思います。それから私にとって大きな誤算だったのは、戦前は世の中の躾というものは、大変厳しいものがありました。つまり、この近くに橿原神宮というのがありますけれども、戦争が始まりますと修学旅行が出来ない。私はその頃旧制中学でしたけれども、その頃は橿原神宮に参拝して、木を植えるというような奉仕活動をすれば、京阪神旅行が許されるというような事でありまして、修学旅行をする名目として橿原神宮に行くというような時代でした。ですから世の中の締め付けが厳しかったから、それを全部否定するという私の両親の教育方針というのは、一応有効だったわけです。周りに牢屋の格子みたいのが有ったから、私達は家庭の中で本当に自由でいられた。

 

 ところが戦後の問題は、周りの格子が無くなってしまった事です。あれも良い、これも良い、何をしても良い、というような状況になってしまいます。つまり、戦前の私の家庭が戦後の社会そのものになってしまった。社会の中で、何のルールも無い、何の躾も必要とされない、何の義務も無い、憲法では納税の義務というのは有りますけれども、それを除いて勤労の権利と義務を有すると有りますけれども、権利と義務を有するという怪しげな条文なんて無いと同じですから、つまり税金を納めさえすれば後は何をしても良いというのが、戦後の日本でございます。そうしますと戦後の社会と、私の育った家庭環境というのが同じになります。先ほど家庭生活と社会生活というのは、二つの次元を持っていると言いましたけれども、これが同じになってしまった。これは私の家庭ばかりでなくて、多くの戦後の、殊に大都会の家庭がそうだったと思います。戦前的なルールというものが、通用しなくなったのが戦後でございます。従いまして、親は自分が子どもの時言われた事を、子どもに言おうとしても、あるいは言ったにしても子どもの方で受け付けない。「そんなのは古くさい、封建的だ。」と言われると親としては黙らざるを得ない。結果として私の家も、多くの大都会の家庭においても、子どもの教育というものが、家庭教育というものが無くなってしまう。そして社会においても社会的な教育というものが無くなってしまう。その結果、のっぺらぼうとした家庭の外と内の区別の無い、妙な社会が出来てしまった。これが今日の社会の病弊、大きな災いと言いましょうか、不健全な状態で有ろうかと思います。

 

 曾野綾子がどっかに書いていましたけども、私ども仕事じゃなくてシンガポールに良く行きます。シンガポールに彼女の知人で大金持ちが居まして、その人のアパートがあって、そのワンセクションを私達に売ってくれたからです。そこでイスラム教徒の所へ行こうという時がありました。その時、今年の正月だったと思いますけれども、イスラム教ではラマダンと言いまして断食の月なんですね。日が上がってから沈むまで一切、物を食べてはいけない、飲んではいけない。厳しい事を言う人は、自分の唾液さえ飲んではいけないと言われています。私どもはラマダンの時に食事に行ったわけです。6時半頃行きました。はじめは暗かったんですけれども、私達が行きますとレストランは電灯をつけた。電灯をつけますとだんだんお客が集まってきます。私は食事を注文しまして、料理が来ますと平気で食べ始めます。隣の人は子ども連れなんですけれども、絶対に食べない。注文だけはするんですけれども四つ五つの子どもでさえも、「ごはん食べたい。」とか、「おなかが空いた。」とか言わずに、じっと待っている。7時頃になりますと、ラジオが急に放送を始めます。イスラム教の偉いお坊さんのコーランが聞こえます。それが終わった瞬間に食べ始めるんです。それまできちんと待って居るんです。

 

 イスラム教は社会的なルールと家庭のルールが同じなんですけれど、社会ではどうあれ家庭ではどうでも良いんだという事では無い。やはり彼等の場合、まだ社会と家庭の中の躾というのがきっちりしてると思います。ただ問題は、社会と家庭が同じ次元にあるという事です。つまり家庭教育が基本にあって、それが社会教育に優先するという事が無い。のっぺらぼうの人間関係である。それが問題と言えば問題であろうかと思います。ですけれども四つ五つの子供が、イスラム教の偉いお坊さんのお祈りが済むまで、朝から何も食べて無くて、ひもじいだろうがじっと我慢している。その子供たちを見ると、日本の子供たちにこれだけ厳しい事を要求する親が居るだろうか。そしてそれに従う子供が居るだろうかと思うと、やはり日本の事を思いまして、私が自分の息子の教育にしました事を思いまして、やはり大きな失敗をしたんじゃないかと、日本の社会は大きな失敗をしつつあるのではないか、と思ったわけでございます。

 

 ですからここで必要なのは、もう一度家庭というものを作り直さなければならないという事だと思います。昔のように古い世代というのが居ません。簡単に言うとおじいちゃんおばあちゃんが居ません。おじいちゃんおばあちゃんの居ない家庭の中で、どうやって親は子どもに権威を持って対する事が出来るか。つまり親と子というのは決して対等ではない、友達で有ってはいけない。親はやはり、私の家の裏の物置小屋で子供を産み育てた野良猫のように、自分の権威で子供たちを支配し、子供たちを守らなければならない。そして家庭の中のルールは社会のルールに優先するという事を、子供たちに考えさせ直させなければならない。

 

 今日本の教育問題の大きな欠点というのは、社会的なルールが家庭の中に入り込んでいる。例えば私が唯一親らしい事をした例としましては、家でテレビを見る時、なんかの事があって子供にそれは見ちゃいけない、例えばその間に風呂に入りなさいと言ったのかも知れない。そんなくだらないもの見なくて良いと言ったのかも知れない。だだその時息子が、「しかし、みんなが見ているから僕も見たい。」その時私は虫の居所が悪かったと思いますけれども、猛然と怒りまして庭にテレビを放り出して、それから数年間我が家にテレビがなかった時代があります。家庭のルールとして、世の中がみんなしてるから家でもやって良いという考え方、世間がそうなんだよという考え方、それは家庭の権威を失わせる最大のものだと思います。もう一度家庭の尊厳を回復するという事は、世間はどうあろうと我が家はこうするのだという事をはっきりさせる事に有ろうかと思います。

 

 これが家庭の問題でございますけれども、もう一つの社会の問題で言いますと、社会の中では色んなルールが拡がってきまして、それが家庭というか個人というものを圧迫しつつ有る、それが一つの大きな前提として存在するように思います。例えば偏差値教育というのがその一つなんですけれども、学校の成績さえ良ければ良いんだ。あるいは親も、良い高校に入る為ならば大抵の子どもの我が儘勝手を許す。例えば、「入学試験に受かるにはこの本が必要なんだ。」と言うとそれを買ってやろうと思う。2・3週間前のどっかの新聞の投書に有ったんですけども、「大学生からパソコンを買って欲しいと依頼があった。勉強するのにパソコンが要る。」と言う。『いくらだ。』と言うと、『20万円だ。』と言う。子どもはいとも簡単に20万円と言うけれども、学費を納め大都会での生活費を出し、おまけにこの上20万円のパソコンを買うというのが、親にとってどんなに苦痛か分からない。でもやはり息子が必要とするならば、20万円どこかで工面してパソコンを買ってやらねば成るまい。」と言う投書があった。

 

 つまり、「家は金はないよ。」という事をハッキリ言えない。そこに今の親の悲しさがある。あるいは社会というものがどんどん移り変わっていきますと、みんながこれを持っているから俺も持たなければならない。みんなが携帯を持っているから自分も持つんだ。電話料が2万円3万円掛かるからと言ってぶつぶつ言うもんじゃない。みんながパソコン持ってるから俺もパソコン欲しい。というような子供の要求に対して親は、唯々諾々として従う。と言うのが現実なんですけれども、そういう様な社会での学校のあり方、教育の現場の状況というものを家庭にあっては、そのまま認めて良いのか。例えば初めちょっと申しましたけれども、偏差値が高いという事がそれほど良い事なのか。偏差値を上げるためには親はたいてい一生懸命成ります。学校の成績・偏差値をあまり言わなくなってから、学校の成績が良くなるためには、入学試験に受かるためには親は一生懸命成ります。それならば良い大学に入らなかったらその子の人生は失敗なんだろうか。そこをもう一度考え直して欲しい。

 

 つまり大抵の人は自分が結婚して子供を育てていて、幸せだったかと言われて幸せだったと言える人はあまり居ないんじゃないかと思います。これはどんな家庭であっても、例えばお金持ちであっても、ハッキリ申しまして皇族の方であろうとも、あるいは私たちの生活であろうとも、あるいは北海道に住んでいようと沖縄に住んでいようと、幸せかというと幸せじゃないと言う部分を持たない家庭はないと思います。ある精神科医と話したんですけれども、その精神科医の言うには「私の所に相談に来る人たちというのは、まあそういう家ばっかりなのかも知れませんけども、問題のない家庭なんか無いんじゃないですかね。」

 

 すなわち一つ一つの家庭には、一つ一つの違った形の問題がある。その一つ一つの違った形の問題というものをどう解消して行くかという事が家庭生活というものであり、学校教育というのは、一つ一つの家庭の問題を越えたところで、最大公約数的な意味でのルールを教えるところである。だから最大公約数的なルールをどんなにうまくマスターしたところで、そうしたら、息子として娘として、夫として妻として、父として母として幸せであるか、あるいは良き息子であり良き娘であるかどうかは分からない。

 

 私は子どもの頃、少年の頃に近くに中央官庁の局長さんの家があった。その頃の局長さんは今の局長さんより余程偉い。だいたい内務省の局長さんをやると次は必ず県知事になった位ですから、県知事さんくらい偉かった。その人と私の母親とが同じ地方の出身地なもので仲が良くて、始終遊びに来たんですけれども、彼が言うには「自分たち夫婦は魚を行商しながら、子どもを育ててきた。子どもの成績が良かったもので、無理して東大を卒業させ、役人にしてしまった。だけどあなた、まかり間違っても子どもを東大法学部に入れるもんじゃない。それだけで親とは全然別の世界の人間になってしまって、あのぐらいならむしろ学校の成績が悪くて、魚の行商の仕事を継いでくれるた方がどんなに良かったか知れない。」と始終こぼしていました。だからそういう家にはそういう家の不幸せがある。でも学校の成績とか、良い学校に入るというのは、社会での次元の、社会のモードにおける良い事である。それと家庭のモードにおける良い事とは別だという事を考えて、社会の上のモードという事を次に考えていきたいと思います。

 

 教育課程審議会で色んな意味でレベルを下げてきました。レベルを下げていったというのは何故かと言うと、これでは出来ない子どもばかりになるのじゃないかと言いますけれども、現実問題として義務教育を終えて、義務教育の課程を全部マスターしている子というのはそんなに居ないわけです。大体子どもの中ぐらいレベルの所に合わせると、今度は教育課程審議会のような事になってしまう。昔から教育課程というのはきちんと有ったんですけれども、それをマスターしている子ども達というのはそんなに多くない。

 

 私たちの同業者で言いますと遠藤周作という男は、本当に出来ない人です。慶応大学を出ましたけれども、中小高校を3年浪人して慶応の文学部に入ります。その頃の慶応の文学部というのは、どういう人が居たかと言いますと、慶応の幼稚舎からの持ち上がりの少数の秀才、幼稚舎に入るとき試験をしましたから、IQ・知能は低くないのだけれども、徹底的に遊んでいる学力のない育ちの良いボンボン達。それから安岡章太郎とか遠藤周作のような、浪人を3年もして中小高校に入れなかった落武者達、そう言う人たちが集まっていたわけです。ですから安岡も遠藤も旧制中学の課程というのは何にも出来ません。曾野綾子という人もこれは決して馬鹿じゃないんですけれども、数学・物理・化学となりますと徹底的に出来ません。私は数学で言いますと17世紀つまりニュートンの微積分ぐらいあたりまで出来ますから、17世紀から18世紀までの数学は出来る。しかし曾野綾子は紀元前5世紀の数学もあやしい。ユークリッドがあやしい。従って私は、「あなたと僕は同じ部屋にいるけれど、こと数学に関しては2500年の差があるんだ。2500年の段差が2人の間に有ることを忘れないでくれ。」と言った事がありますけれども、彼等は本当に数学が出来ません。

 

 大体旧制高校から東大・京大に行くというのは、数学が出来なければダメなんですけれども、阿川弘之というのは昔の飛び級をしまして、旧制の広島高等学校へ入ります。だから一応秀才なんですけれども、これは数学出来ないんですね。入学試験の時に飛び級なんだし数学が悪いから落とそうかという話があった。しかし一応点は取ってんだから入れようと言うんで入れた。じゃ本当に阿川弘之が馬鹿かというとそんな事はなくて、阿川は順列組合せ・確率というのは知らないはずなんですけれども、昭和31年頃にアメリカの何とかと言う財団の招きで、1年間アメリカに居たんです。ロサンゼルスに居たんですけれどもラスベガスに行きまして、一晩で500ドルぐらいスッてしまう。彼は発憤しまして、スッた金を取り戻すために、タイプライターの数字キーを使いまして、確率の勉強をしたんです。彼は確率なんて知らないんですね、ただサイコロで6が出てくるのは何回に一回あるかという事を、あらゆるケースをタイプライターの数字キーを使って調べたんですね。アメリカの作家というのはタイプライタ−で原稿書くのが普通ですから、家主の親父さんが阿川夫人に向かって「あなたの主人は一晩中小説書いてたな。」と言うんですけれども、彼は小説書いてたんじゃなくて「0123456789」というのを限りなく打って、確率の勉強をしていた訳なんです。彼はこの数学の教育の中では「確率・順列組合せ」というものはやってないはずなんですね。ですけれども彼はその結果、確率の基本的なルールという物を発見するんですね。もっともそれは彼の独力ではなくて、その前に彼は海軍の予備学生で将校になって、その時に一種の知能検査を受けたんだと思いますけれども、知能検査を受けて「こいつは知能が高い、語学も出来る。」というので、暗号の解読をやらされる。東京の郊外ですごい大きなアンテナの有る所があるんですけれども、そこにそういう予備将校達が200人くらい集まって、アメリカ海軍の暗号を解かされ、結局解けなかったんですけれども、しかしアメリカの機動部隊が動こうとする2週間ぐらい前になりますと、ハワイから非常に大量の無線が発信される。それに対してシドニーが呼応するか、アリューシャン列島の方が呼応するかというような事を調べて、大体において南太平洋地区で機動部隊が動くとか、そのような事が見当が付く。それは毎日毎日入ってくる意味の分からない無線電信の発信地と量を比べていると分かる。これは一種の推計学的な理論なんですけれども。そういう経験があったから彼はラスベガスで博打に負けた時に、確率の計算をする事を思い付いたのだろうと思います。彼のその話を聞きますと確かに彼は、確率・順列組合せという物の原則を見いだして、それを武器にして300ドルぐらい儲けて帰ってきている。だから阿川弘之は数学は出来なかったけれども、ほんとに彼は馬鹿かと言うとそんな事はない。必要があれば、博打に負ければ、あるいは軍隊に入ってアメリカ海軍の暗号を解読しろと言われれば、それなりの対応をする事が出来る。

 

 遠藤周作は馬鹿かというと、彼は20歳の時までは鈍才なんです。ほんとに何も出来ない。

しかし佐藤さくと言う人の本をたまたま見て面白いと思った。後ろの方を見ると慶応大学の文学部教授と書いてある。その本を持って佐藤さく先生の所へ「私も慶応の文学部学生ですが、予科の学生ですが」と行くと佐藤先生が話し相手になってくれて、「君この本を読みたまえ」と渡してくれたのがフランス語の本だった。彼はフランス語のフの字も分からない。だけどもこの次佐藤さく先生の所に行くためには、1ぺーじでも2ページでもそれを読み解いて、その中で問題点を持って行かなきゃいけない。彼はその時からフランス語を猛烈に勉強するんです。そしてフランス語が出来るようになる。後に彼は慶応大学を卒業しまして、フランスに留学している時に、慶応仏文科学の教室で先生が足らなくなった。そこで東大か京大からの若い人を入れてこようかという事になった。しかし仏文科の先生達の中では、言っときますが佐藤さく先生ではありません。ある先生が「あと1・2年すると遠藤君が帰ってくるから、それまで何とかやり繰りしようじゃないか。」と言ったんです。それは19年頃までは、遠藤周作は鈍才であった。それが昭和24・5年頃になると彼は明らかに秀才の中に入っている。そういう事を考えますと、ある基礎的な学力を持っているという事が、どの程度の意味があるかという事をもう一度私たちは考え直す必要がある。

 

 曾野綾子は数学が出来ません。私と彼女の間には数学の能力については2500年の差がある。しかし2500年の差よりも、日常生活のなかでものを考えて行く時には全く差がないと言って良い。多分曾野綾子は必要と有れば2500年の数学の差を縮める事が出来るだろうと思います。つまり私たちが10代の時に、ある科目が出来るとか出来ないとかは、それほど決定的なものとは思われない。しかし、じゃあ全ての人が遠藤周作になれるか、全ての人が阿川弘之になれるかと言うと必ずしもそうじゃない。じゃあ他の人達はどうなるんだ。紀元前5世紀のユークリッド幾何学が出来ない。あるいは中世のイスラム社会で出来たアルジェブラッド、大体「アル」というのはアラビア語の冠詞ですから、アルコールもそうですが「アル」が付くのは大体アラビア語です。中世の終わり頃に出来た代数という物が出来ないという事は、それほど決定的な事なのか。

 

 国際連盟で国際学力達成度試験と言う物があります。それは国際的な比較が簡単なように、数学と理科を中心にした物ですけれども、今まで3回やっております。3回したうち、1回目と2回目は参加した国が少なかった事もありますけども、義務教育に関する限り日本は一番だったと思います。去年の春頃だったと思いますが、第3回目の結果が発表されました。日本はもう一位じゃない。トップグループでは有りますが一位じゃない。トップグループというのはどういう国かと言いますと、シンガポールとか、香港とか、韓国とかいう所でありまして、日本は韓国とほんのわずかの差で、韓国の下だった気がします。あとどういう国が良いかと言いますと、チェコでありハンガリーである。これに台湾を加えた国がトップグループを形成しておりまして、それからいくらか置いて第二グループがあって、その後にほんとに出来ない国が続いている。いわゆる欧米先進国というのは中ぐらいの所にいる。アメリカなんかはあまり成績良くない。じゃあアメリカの教育関係者はその事について慌てているかというと全然慌てていない。

 

 ノーベル賞を一つの物差しと考えますと、毎年ノーベル賞が発表されますけれども、受賞者のほとんどの人はアメリカの大学の先生です。ヨーロッパの大学の先生よりも、アメリカの大学の先生の方が色々と待遇がいいもんで、ヨーロッパの優れた先生や学者がアメリカに行くという事はあるのですけれども、それにも関わらずアメリカの学者というのは優秀な人が多くて、彼等は沢山ノーベル賞を受けています。彼等はあまり成績の良くないアメリカの小中高校を卒業して大学に来ているわけです。そうすると良き学者を産むという意味で言いますと、アメリカの小中高校の教育というのは、失敗していると言えないのではないか。つまり阿川弘之も必要とあれば独力で、順列組合せ・確率の様々なルールを発見する事が出来た。遠藤周作も数学の領域ではありませんけれども、20歳の時から突如秀才になる。そういう事を考えますと、基礎の基礎というのは、しっかりしていなくともある時自分が必要と感じた時に慌ててやるので充分間に合うのではないか。

 

 私は英語は出来ませんけれども、旧制中学はきちんと文法その他を教えます。3年生の夏休みに初めて英語の小説を字引を引いて読んだ記憶があります。「足長おじさんの続編」というのを古本屋で見付けまして、それを買ったんですね。その頃まだ翻訳本が出てなかった。戦後村岡花子さんの翻訳が出ましたけれど。それから秋に映画を見に行ってまして、スペンサー・トレーシーという人が主役だった、「スタンレー探検記」という映画がありまして、スタンレーという新聞記者がリビングストーンという伝説的な探検家を探してコンゴの奥地に行く。そしてリビングストーン博士に会いまして、彼の伝言を持って、ナイルの源流についてのリビングストーン博士の発見の結果を英国の地理学会で報告するという映画です。これは最後の所ですけれども、映画をずっと見ていますと、スタンレーがどういう演説をするのか大体見当が付く。それで映画を見ていますと、なんかスペンサー・トレーシーの演説が聞き取れるような気がするんですね。その映画を気に入って何度も何度も見に行った覚えがあります。それぐらいの事であって戦前は話す機会は全くなかった。話す機会は全くなかったのですけども、いわば敗戦のぶっつけ本番で話さなきゃならない事がぽつぽつ出来はじめる。そうしますと結構学校で習った文法とか単語という物が役に立つものです。

 

 私は日大の講師をしている時に3ヶ月くらいアメリカの大学に居た事があります。それは目的は別にしまして、ほんとは半年くらい居る予定でしたけれども、日大の大学紛争がありまして切り上げて帰ってきたんです。その時後6ヶ月くらい居たら喋れるようになれただろうなと思いました。昔、佐々木更三という社会党の代議士が居まして、仙台の出身なんですが、その人の演説を聞いていると、1秒か2秒位遅れて理解できる。英国の女王様の英語の演説を聞いていますと、1秒から2秒位ずれるんですけれども理解できる。そのようなわけで3ヶ月くらい経ちますと授業を聞いていても大体追いついていける。だけども私の知らない単語が一つ二つ重なって出てきますと、あれっと思って、そこで立ち止るとたちまち振り捨てられまして、あらためて先生の話す事を、言葉尻をとらえて理解するまでに4分から5分無駄になる。それからなんとか話の筋道に追いついていって、また4・5分経つと分からなくなる。1・2分経つとまた追いつくというような所までなった。あと半年居れば随分分かるようになったかなと思う。しかしそれは大学の中での話で、大学の外に出ますと分からない英語だらけです。色んな英語がそこにあります。ちょっとした話がありまして、電信柱の上の日本で言うと何でしょうか、電気のトランスを入れている箱があるんですけれども、そのふたが外れ掛かってばたばたしている。家主の所に行って「電柱の電気の箱が壊れている。」と言おう思って、電気の箱という日本語で言えば簡単な言い方っていうのは大変難しいんですね。文字通り電気の箱と言ってもしょうがないと思うんですね。で、変圧器とか何とか言うのは分かるんです。漠然とした言い方、日本語で言えば「あれ、やっといてよ。」という風な言い方のほうが返って難しい。それから妙な英語を使う人達がいっぱい居まして、例えばカリブ海からやってきたタクシーの運転手なんてのが居まして、そういう人達の英語はまた分かり難い。

 

 そういう事は有りますけれども、学校英語をきちんとやっていれば、多分アメリカへ行きまして半年経ったら、何とかなるんじゃないか。そういう気がします。つまり基礎というものはかなり程度が低くても、それを上に必要と有れば、色んなものを積み重ねられるという事であろうとかと思います。

 

 もう一つ言っておきますのは、いまそのような意味での学力、数学とか英語の話をしましたけれども、それが全てでは無いという事です。例えば世の中には音楽家に向いている人が居る、画家になるのに向いている人が居る。少なくとも画家になる人達の話を聞きますと、子どもの時から絵が上手い。これは例外なく絵が上手いですね。ゴッホが少年時代に描いた「石の橋」の絵が有りまして、それを見ても10歳とは思えないぐらいちゃんとした絵を描いている。ピカソも若いときにはラファエロのように、というのは古典的な技法通りのルネッサンス時代のような本物そっくりに描く絵というんです。ラファエロのように描いたものだと言ったと言われています。画家というのは子どもの時から絵が上手い。その意味ではハッキリしている所があります。同様に音楽に向いている人が居る。舞踊に向いて居る人が居る。あるいは大工さんに向いている人が居る。そう言う人達を全部同じカリキュラムで教えて良いものだろうか。

 

 教育委員会をしている時に、2回研修旅行に行く機会がありまして、その内の一回がアメリカだったんですけれども、そのアメリカのかなり進学率の高い中学校で、数学の出来ない子ども達に平面図・側面図・立体図等の機械的な図の描き方を教えている現場を見たことがあります。それは真上から見た図、真横から見た図、手前から見た図の3つの絵を基にして、木を削ってこれを作ろうとして居るんですね。「なるほど、これは上から見たらお前の作ったとおりだけれど、横から見たら違うじゃないか。正面から見たら違うじゃないか。」というような事を言いながら、木を削らして立面図、側面図、平面図というような物を基にして、立体感覚を掴ませる事をやっている。作った物に光を当て、どういう形の影が出来るかという事を覚えさせ、それから手前にスクリーンを置いてスクリーンの上になぞらせて、透視画法を教える。というような事をやっていました。それはもう数学が出来る子だったらそんな面倒くさい事をしなくて、簡単に理論的にパッと出来る事をやる。出来ない子にはそういうやり方をしている。

 

 その中に、「木を削ったり磨いたりする事に情熱を持つ子はいるもんだ。」と先生は言うんですね。そういう子はむしろ、そういう事をやった方が良いんだ。今、学校というのは、今までのカリキュラムというのは、大学に進学するという事を前提にしている。数学で言いますと大学の理系、ハッキリ言いますと工学部に行く事を前提にしてカリキュラムが作られています。「数T」の次に「解析」と言うのがあります。あれを何の疑問もなく素直にスッと受け入れる事が出来るという人達は幸せな人達ですけれども、この中のかなりの人達は、数学にはあまり向いてない人達だと思います。例えば、マイナス掛けるマイナスが何故プラスになるかという事を、皆さんが子どもに聞かれた時に、大体どの教科書でも同じように教えています。ある地点から右の方に行くのをプラス、左の方に行くのをマイナスにする。そしてこれから経つ未来に関する時間をプラスに考え、過去に遡る時間をマイナスと考える。そうすると反対方向に、マイナスに2時間行くとどうなるかという事で、マイナス掛けるマイナスがプラスになり、プラス掛けるマイナスはマイナスになるというような事を教えます。しかしこの中でそういう教科書に出ているような形を使わずに、何故マイナス掛けるマイナスがプラスになるかという事を言える母親がいれば、その人はやはり数学がかなり出来るだろうと思います。これは何よりも、マイナスという表記が何故必要だったかという事に遡るとこれは簡単なんですね。赤インクがない頃、不足している金額をマイナスで表したんですね。そして入金する金額をプラスで表した。出ていく金額をマイナスで表した。つまり100円有るところに10円出ていくのは、100円マイナス10円です。そこに30円入ってくるのは、プラス30円です。計120円となります。ところでここで赤字マイナス200円という債務を自分が***を持っているよそに押しつけます。債務はマイナスですから、マイナスが出金していく。マイナスが出ていく、消えていくというのはプラスになんですね。最初そういう帳簿の上の事から出てきた訳ですね。

 

 同様に「ピタゴラスの定理」の証明の仕方も幾通りもあるんですけども、皆さん方は多分ピタゴラスの定理の証明が出来ると言っても、直角三角形の直角の頂点から斜辺に垂線を下ろして、そして3辺に作った正方形というものを比べて、斜辺の正方形の面積とその他二つの正方形の面積の和が同じになるという証明の仕方の古典的なやり方を知ってると思いますけれども、それ以外の証明の仕方を知っているかと言いますと、ほとんどの方は考えた事も無いと思います。しかしあなた方のお子さんの中で、ピタゴラスの定理の証明はこれ以外にないだろうかと、別の証明方法を見付けようとする子どもがいれば、その子は本当に数学的な素質のある子だと思います。

 

 したがいまして、数学の点数が良いから数学が出来るとは限らない。数学の点数が悪いからと言って、数学の素質が無いとは言えない。「対数というのは何なんだ。」というような事に疑問を持つという事。例えば日本と同じように、西洋では数字の書き方で変な書き方をしていました。例えば1976を表すのに、1900はMCM、70はLXX、6はVIという事で MCMLXXVIというような書き方をします。そんな書き方をしている時に、掛ける割るの計算なんて全く出来る訳ない、ほとんど不可能です。日本の漢字風の七拾参万五千七百弐拾九 掛ける壱千九百七拾六というのと同じです。そういう場合に何とか、掛け算を足し算で表すことは出来ないかとというのが対数の基なんです。対数はもっと別の効用が出てきます。つまりガウツヘーベンと言いまして、無限大の量を一枚のグラフに表す事が出来る、という利点が出来たりします。三角関数は元は、土地の面積を測る事だったんですけれども、三角関数の微積分をやっていますと、これは電気の交流の計算をするときに便利です。

 

 この様な事から対数とか三角関数とか微積分とかというものが何故出てきたのかという事を全く教えずに子ども達に押しつける。だから子ども達は問題が解けても、数学の問題意識は持っていない。答えは出せても問題意識は持っていない。そういう子が沢山出てきてしまう。そう言う意味で将来音楽家になれば、大工さんになれば、あるいは商人になれば、素晴らしい才能を発揮するかも知れないような人達が、大学の工学部に行くための数学をやらされているという事が、どういう意味があるのだろうか。将来、英語と言えば商店の看板を読むぐらいの人達が、英語の小説を読まされるという事に、どれくらいの価値があるのだろうか。

 そういう事を思いますと必要最低限なるものは、かなりレベルを下げても良い。それから後は、遠藤周作がある時佐藤さく先生によってフランス語を勉強しようと思った時に、3年間で秀才になったように、5年後には慶応の仏文科の先生の後継者として期待されるようになったように、必要となった時に必死になって勉強するだけの気力と情熱と、それから問題意識を持たせる事の方が必要ではないか。

 

 問題意識を持たせるために一つの問題に対して、様々なアプローチの仕方がある。様々な接近の仕方がある。接近の仕方の中で自分の関心、自分の向いている方向を知るために、例えば総合的な学習という時間がある。一つのテーマ、つまり、奈良県の第一次産業の現在と未来というような事でも良いんですけども。歴史でも良いし、地理でも良いし、社会でも良いし、数学でも良いし、あるいは外国の文献を読む事でも良いし、色んな接近の仕方がある。そこで自分の得手を発見する事、他の人に比べると自分の方が優れているという事ですね。自分が農業を体験しているならば、農業を体験した上で奈良県の農業というのは、例えばこういう機械を使えばこれだけの労力で済むけれど、それには燃料費がいくら掛かるというような問題の迫り方も出来ます。

 

 つまり必要最低限のものを低く押さえて、社会の中で他の子と比べた場合に、自分はどういう特色を持っているかを発見し、自分が本当に情熱を持てる対象を見付ける事。これが今度の新しい学習指導要領というものが来年出来ると思いますけども、その眼目であろうと思います。

そこで良い大学に入れなかった、、あるいは受けようとしなかった人達が挫折感を持たずに自分の選んだ職業、自分がこれをやっていると満足できるもの、自信を持てるものを発見するという事。そういう人達が家庭を作った場合に、夫となり、妻となり、父となり、母となっても不必要な劣等感とか疎外感に悩まされる事なくて、自分は一人の建築労働者だけれども、しかし自分は毎日毎日の生活に充足している。山海の珍味を目の前に並べられても、お腹が悪くて食欲が無い人が居る。漬け物とみそ汁と炊きたての飯だけで良い。お腹が空いて、それが美味いと思える事が出来れば、そっちの方がずっと幸せなんだ。という事を自信を持って子ども達に言える人、つまり自信の持てる社会人、そして自信の持てる家庭人、そういうものをこれから先作っていく。その為にPTAも教育関係者もあるいは国・自治体も、そして一人一人の親も心がけるべき時が来ているように思います。